『サイエンスの最前線』では、斬新な研究に挑まれている方々の活動の一端を対談形式でご紹介していきます。

「サイエンスの最前線」第二弾は、現代科学が決して避けて通れない問題に、哲学的理念をもって果敢に挑まれている河村先生のお話です。カントというドイツの哲学者が数百年も前に主張していたことが、この時代に生きる我々の身近な問題にこれほどまでに示唆があるとは正直驚きです。医療の分野に従事される方々のみならず、あらゆる分野の学生さんや社会人の方々にとって、今までに考えたこともなかったような「医学」「生命」に対する“新しい”視点がここにはあります。ぜひご一読ください。

科学技術に対する基本的な問い
〜今の技術で“何ができるか”ではなく、“何をすべきか”〜

─ 前回のインタビューで、文系・理系の垣根を越えた研究の必要性を感じました。河村先生もカント及び生命倫理がご専門ですが、素人の私から見ると、生命倫理というと一見理系寄りのイメージがあるので、カントと生命倫理という結びつきには、正に、文系と理系の垣根を越えた研究領域があるのではと思いましたが、その点はいかがですか?

 「文系・理系の垣根を越えた」とは思いませんが、その境界線上にある分野だとは言えるかも知れません。ただ、私のアプローチは医学的なものではなく、あくまで自分の専門領域が基盤となっていますので、限定もされると思います。今の学会の動向から言えば、いろんな領域の研究者が集まって一つのテーマについてディスカッションしていくというのがあって、私が入会している医学哲学・倫理学会では、医学、看護学、哲学・倫理学、宗教学など様々な分野の研究者が集まります。

─ 異なる分野の研究者が集まって一つのテーマについて討論すると、思いもよらないような意見も出てきたりしますか?お互いに刺激があって、面白そうですね。

 ええ、勿論それが目的です。文系・理系に関わらず、共通の問題は、現在、我々が持つ「技術」をどこまで使用することが許されるのか、ということです。医学者は、今の技術で何が出来るか、どこまで出来るか、ということを考えます。しかし、何が出来るかではなく、今の技術で何をすべきか、より的確に言えば、何をしてはいけないか、という問いは、医学者からは出にくいのではないでしょうか。一度獲得した「技術」は使用したいでしょうし、その限界を知りたいでしょう。例えば、ヒト胚を使って胚性幹細胞を作り、それによって臓器を作るといった研究がすでに始まっています。こういう仕方で臓器が作れるようになれば、臓器移植は必要なくなるので、こういった研究は、一見全て良いことのように思われますが、そこには、解決しておかなくてはならない問題があるのです。ヒト胚は、普通に育てば我々と同じ人間になります。言い方を変えれば、私たちもまた、実際の成長の段階で、一度は「ヒト胚」であったのだから、「受精14日までのヒト胚」の実験使用を認めることは、原理的には「私」もまた実験に使用される可能性があったことを認めることになります。こういった問題を提起することが、私の研究の立場です。

カントの道徳理論


─ 私の不勉強で、先生のご著書を読ませていただくまでは、カントと生命倫理がどのように繋がるのかが想像出来なかったのですが、「自己意識としての人格―英語圏の人格概念―」*1という先生の論文を拝読し、生命倫理の立場から見たカント理論の重要性や価値が分かった気がしました。例えば、今の医療現場では、受精14日までのヒト胚の実験使用や、脳死者からの臓器提供が認められており、ヒト胚と脳死者は、医療行為の「目的」から外され、条件付で「手段」とみなされていますね。先生はこの問題について、カントの「道徳的人格性」*2という概念を持ち出し、「自分のいま現在の状態や能力にではなく、可能的な状態もしくは潜在的な能力のうちに」「“生きるための重大な権利”の根拠を見出す」というカントの立場から警鐘を鳴らされています。つまり、上でも述べておられるように、「ヒト胚」は将来、「私」と同じく人間になる可能性のあるもの、言うなれば人間の萌芽であり、また、誰しもが「脳死者」になり得る可能性を持つにも関わらず、そういった存在者を安易に医療の「手段」に用いることを認めて良いのか、ということですよね。この問題提起は、非常に興味深く、カント理論の現代的な意義を改めて感じました。しかし、まだまだ理解の足りない部分も多いと思いますので、カントと生命倫理の繋がりについて、もう少し詳しくお聞かせ願えますか?


*1…河村克俊、「自己意識としての人格―英語圏の人格概念―」、『外国語外国文化研究』XIII、関西学院大学法学部外国語研究室、2004年7月。また以下を参照されたい、河村克俊「生命倫理をめぐるドイツの現状 −シンガー事件とドイツの哲学界 −」、土山、井上、平田編『カントと生命倫理』晃洋書房、1996年7月。

*2 Immanuel Kant, Metaphysische Anfangünde der Rechtslehre, neu hrsg. von Bernd Ludwig, Hamburg 1986, S. 25. 邦訳、カント『人倫の形而上学』(カント全集11巻)樽井正義、池尾恭一訳、岩波書店2002、年 p. 39.



 

 まず、この論文で述べたことは、カントの「人間」「他者」という概念を広義に捉えた一つの解釈であり、それだけが唯一の答えではないということを言っておかなければなりません。カントと生命倫理というコンテクストで一番よく取り上げられるのが、「定言命法・目的の方式」です。これは、「自分をも他人をも目的それ自体として扱わねばならず、決して単なる手段として扱わないように行為せよ」というものです。ここでは、「互恵性」が求められているわけです。互恵性とは、何らかの相互性、相互作用の対象となるもの同士の間で成立する関係性です。つまり、「私」があなたを助け、あなたが「私」を助ける、といったように。「他者」を広い意味に取れば、幼児や嬰児、更に拡張すれば胎児まで「互恵性」の対象は広がり、その延長線上にはヒト胚というものがあると考えられます。しかし、「他者」に対応出来る人、つまり、互恵性が可能な人だけに限定されるという解釈も出来るので、あの論文の主張だけが必ずしもカントの理論として通用するわけではありません。例えば、あの論文では、子供を、時間が経てば理性的存在者となり得る、つまり可能的な他者であると解釈していますが、 問題となるのは、先天的に重度障がいの子どもたちです。このような子どもたちには、現在だけでなく将来的にもコミュニケーション能力をもつ道が閉ざされている場合があり、彼ら彼女らの位置づけについては、解釈が分かれるところです。
 他方、同じ「定言命法・目的の方式」に従えば、こういった子どもたちもまた、自分自身を「目的それ自体」として扱わなければならないはずです。言い換えれば、それらの子どもたちにとって、それぞれの自分は代替不可能な存在者であり、「目的それ自体」であるはずです。この点については今後も考えていきたいと思います。

─ カントは18世紀の哲学者ですが、彼の理論は、現代でも十分通用し得る、むしろ積極的に取り入れた方が良い部分も多いように感じましたが、先生が大学でカントについて講義される際の学生の反応はどんな感じですか?

 法学部の「文化と人間」という講義でカントを特集していますが、学生に意見を求めても、なかなかディスカッションにまでは至りません。でも、カントの理論の中では、世界の起始や空間の限界といった問いについて、これを理屈で考えていくとどうしても二律背反に陥る、といういわゆるアンチノミーの問題については面白い反応が返ってきますね。 

ドイツ留学の思い出

では、最後に、少しプライベートな質問をさせてください。先生はどのような学生時代をお過ごしになられたのでしょうか?何か今の研究に繋がるような体験談がおありでしたらお聞かせください。

 学部では哲学を勉強していて、卒論もカントで書きました。最初に哲学を習った先生がドイツ思想系の人だったので、私もその方面に進むことにしたのです。しかし、ヨーロッパへの関心は昔からあって、学生のころはドイツ音楽だけでなくフォーレやドビュッシー、ラベルなど、フランス音楽に興味がありましたね。修士課程でもカントの研究を続け、修論を書き上げた段階で、一旦はカント研究を終えたのですが、修士課程修了後ドイツに留学することになり、そこで再びカントを研究対象として選び直したのです。

留学先はどんな大学でしたか?

 私が留学したのは、南西部にあるトリーアという町です。『資本論』を書いたカール・マルクスが生まれた町です。地図で言うと、ルクセンブルグ、ベルギー、フランスに近いところです。大学の規模が大きくないこと、哲学・人文学科があること、日本人学生が少ないこと、という希望条件に合致するいくつかの大学に願書を送り、通った一つの中から選びました。結局、日本人は全学生7000〜8000人中5人くらいでしたね。最初の一年は聴講生のような形で受講し、その後、教授から博士課程への入学を勧められたので、正規に入学しました。

留学中の体験談・苦労話など、教えていただけますか?

 大学三回生のときに、一か月の語学留学をしていたので、ある程度心の準備は出来ていましたが、ドイツ語は第二外国語として勉強していただけだったので、やはり言葉の壁には苦しみました。会話は、その環境に入ってしまえば何とかなるのですが、文章を書くことが本当に大変でしたね。書く力を鍛えるためのお勧めの勉強方は、外国人がドイツ語で書いた文章を読むことです。そのほうが、ドイツ人が書いたものよりも文法が正確で読みやすいんです。このことは、他の言語にも言えると思います。

 
*まとめ*
 ありがとうございました。色々と興味深いお話がお伺い出来て、大変勉強になりました。カントというと、「昔の哲学者」というイメージがありましたが、先生のお話を伺い、生命倫理という現代的な問題にも通じる理論が沢山あるのだと分かりました。カントの理論を用いてこのような問題について論じられる先生のご研究は、カントの現代的な価値・意義を再評価する上でも、重要なお立場だと感じました。今の時代、このような先生のお話を日常的に聞ける関西学院大学の学生さんはとても幸せだと思います。また、私自身、もうすぐ長期留学に参りますので、留学中の体験談・アドヴァイスなど、大変参考になりましたし、先生とお話させていただいたおかげで、自分の研究に対するモチベーションが上がりました。